現地調査のために3月にチュニジアに滞在した、筑波大学数理物質系の鈴木義和先生が書かれたチュニジア渡航のレポートを掲載いたします。
(以下、鈴木研究室HPより許可を得て転載。)
1.はじめに
北アフリカのちょうど真ん中、地中海につきだす形で楔が突き刺さるようにも見える国、チュニジア。地中海をはさんですぐ向いにはシチリア島があり、古代から交易の要所として栄えた国である。首都チュニスは北アフリカ有数の大都市であり、ヨーロッパ文化、マグレブ文化が織り合わさった多面的な顔を持っている。
2013年2月半ばのある日、学内の図書館に向かう途中で、北アフリカ研究センター長の中嶋先生から声をかけていただいた。「鈴木さん、3月にチュニジアに行ってみませんか。」北アフリカ研究センター には、サハラソーラーブリーダー(SSB)計画 を推進されている鯉沼秀臣先生が客員教授として赴任されている。鯉沼先生がチュニス近郊のエネルギー関連施設を訪問されるので同行してみては、とのお話だった。
Fig.1 夜行便でパリ空港に到着。現地時間は朝3時
筆者は2012年5月、初めて北アフリカの大国、アルジェリアに渡航する経験を得た 。そして、アルジェリアとの共同研究などを色々と計画していた矢先に起きた1月のあの悲惨な事件。当面、北アフリカに訪問することは難しいのではと考えていたが、隣国チュニジアではほぼ問題ないとのこと。ジャスミン革命後の混乱もほぼ終息しているそうである。そして、あれよあれよという間に渡航が決まり、チュニジア行きの準備が始まった。
アルジェリアの場合とは異なり、チュニジア渡航にはビザ申請が不要であり、また、チュニスには筑波大学の北アフリカ・地中海事務所(CANMRE)もある 。今回もフライト、ホテル手配にARENA/CANMREの渡邉たまきさん、現地事務所の八幡暁彦さんのお世話になりながら、スムーズに渡航準備を進めることができた。
Fig.2 乗り継ぎ客に軽食サービス
2.首都・チュニスへ
今回の目的地は、チュニジアの首都、チュニス。年度末のタイトな日程ということもあり、成田からのエールフランスの夜行便でパリ経由し、チュニス入りすることとした。チュニジアはフランスの元・保護領であり、首都チュニスへは、シャルル・ド・ゴール空港で乗り換えが可能である。3月9日(土)の21:55発のフライトで日本を出発。フランスの夏時間は復活祭(Pâques)からであり、パリ到着日の3月10日(日)はいまだ冬時間。日本との時差は8時間あり、朝の3時にパリに到着した。
Fig. 3 7:35発のフライトでいざチュニスへ
Fig. 4 ようやくチュニスに到着。空港では、アラビア語とフランス語・英語で案内が併記されている
今回は、フランスに入国手続きすることなく、空港内で乗り継ぎすることとなった。さすがに朝3時では、空港内のお店もすべて閉まっていることから、国際線乗り継ぎ客向けの軽食サービスがあった。エールフランス航空にしては親切な計らいである(もちろん、ビジネスクラス以上の客にはラウンジが用意されていたようである。)
パリ空港内で4時間半の乗り継ぎ待ちをし、7:35のチュニス行きに乗り換える。約2時間のフライトで、朝10:00にはチュニス国際空港に到着した。
チュニス国際空港には、筑波大学北アフリカ・地中海事務所の八幡さんが今回も出迎えに来てくださっていた。ありがたい限りである。今回の訪問は短時間でかなりの数の訪問先を回ることになるため、車での移動が不可欠である。現地の交通事情に詳しい運転手付きでレンタカーを手配することとなった。
Fig. 5 現地手配のレンタカー。一応、7人乗り(?)3列目はかなり狭い。
Fig. 6 北アフリカ・地中海事務所にて
チュニス・カルタゴ国際空港は市内から約8 kmと便利な立地であり、市内までは車で10分程度である。まずは、宿泊先のHôtel Belvédère Fourati にさっとチェックインを済ませ、早速、北アフリカ・地中海事務所にお邪魔させていただくこととなった。なかなかのハードスケジュールだ。
12:55には鯉沼先生と、SSB計画の賛同者で今回の訪問の同行者である清水政義氏(清水電設工業会長)が空港に到着されることになっており、出迎えのために空港に引き返して合流することとなった。
3.アフリカ教育開発協会(ADEA)とのミーティング
チュニジア到着日(日曜日)の16:00、早速1つ目のミーティングである。Association for the Development of Education in Africa (ADEA)の事務局長であるByll-Cataria氏との打ち合わせをホテルで行うこととなった。アフリカの教育、Sustainable developmentについて熱い議論が交わされた。このミーティングは今回の訪問のキーパーソンである元・在日チュニジア大使Hannachi氏によりセッティングされたものである。
Fig. 7 左から清水会長、Ahlin Byll-Cataria氏、鯉沼先生、日高健一郎先生(筑波大学)、Salah Hannachi 氏
Fig. 8 ホテルの客室から眺めたチュニスの街並み
4.Borj Cedria テクノパーク訪問
3月11日(月)。朝9時からチュニス近郊のBorj Cedria テクノパークでのミーティングである。車で30分程度はかかるため、朝8時過ぎにはホテルを出発することとなった。
Fig. 9 Borj Cedria テクノパークの本部棟にて
Fig. 10 SSB計画についてのミーティング
Fig. 11 Borj Cedria テクノパーク本部棟周辺の風景
ミーティングの詳細については割愛するが、Borj Cedria テクノパーク側とSSB側との協力の可能性について活発な議論が交わされた。12時にはミーティングが終了し、
Borj Cedria テクノパークを後にした 。
ようやく昼食。現地事務所の八幡さんのおすすめで、Borj Cedriaからチュニスへ戻る途中、街道沿いの地元客向けの食堂に入ることとなった。
Fig. 12 街道沿いの食堂。新鮮な肉であることを示すためか、「羊頭を掲げて」羊肉が売られている
Fig. 13 豪快に焼かれる肉。イスラム圏なのでお酒は飲まず、コカコーラなどを飲みながら食べる
調理法は日本でおなじみのドネルケバブ(回転させてスライス)やシシケバブ(串焼き)ではなく、豪快な網焼きである。パンをハリッサ(唐辛子+オリーブオイルのペースト)につけながら一緒に食べると非常にうまい 。
4.在チュニジア日本大使館表敬訪問
3月11日(月)、14時。今回の訪問で3度目のミーティングである。在チュニジア日本大使館を訪問し、高原寿一特命全権大使との会談を行った。詳細は割愛するが、どのような形式でチュニジア側と協力関係を構築するのがベストであるか、真剣な議論が交わされた 。
5.El Manar 大学訪問
3月11日(月)、15時30分。筆者は少し疲れてきたが、鯉沼先生・清水氏のコンビはまだまだ元気である。お二人は同い年とのことだが、確実に私よりも元気なのは間違いない。
El Manar 大学は、15部局 で学部生約44000 人、大学院生7260 人、教員3000 人を擁するチュニジア最大規模の国立大学である 。まずは、鯉沼先生からSSBについての簡単な説明が行われた。
ここまでのミーティングでは立場上メモ取り役に徹していた筆者であるが、ここでは大学間交流、学生交流などの活性化について積極的に議論に参加した。時間があれば学内施設や授業の模様を見学したかったところであるが、あと2つのミーティングが残っており、後ろ髪をひかれながら同大学を後にすることとなった。
Fig. 15 El Manar大学の学生数。理学部がもっとも多く、経済・経営学部、法学部の順に続く
Fig. 16 Prof. Chiheb Bouden、Samia Charfi Kaddour 副学長、Hannachi 氏、Abdelhafidh Gharbi 学長、鯉沼先生、清水氏
6.JICA チュニジア事務所訪問
3月11日(月)、16時30分。次はJICAチュニジア事務所への訪問である。在チュニジア日本大使館でのディスカッションを補完する形で、同事務所の富澤所長、滝本氏との意見交換を行った。
月曜日の公式日程は一応これで終わりであり、ホテルに戻ることとなったが、この後、19:00より会食形式でもう一つ重要なビジネスミーティングが行われることとなった 。鯉沼先生・清水氏コンビのバイタリティにはただただ感服するばかりである。
7.INAT所長訪問
3月12日(火)、10時。今回の公式日程の最後として、筑波大学北アフリカ・地中海事務所が置かれているINAT(国立チュニジア農業学院)のMahmoud Elies Hamza 所長にご挨拶に伺った。
Fig. 17 INATのMahmoud Elies Hamza 所長との会談
Fig. 18 再び北アフリカ・地中海事務所玄関にて
8.1時間限定エクスカーション
3月12日(火)、11時。本当に密度の高い訪問スケジュールであった。私のフライトは翌13日の朝の便だったが、鯉沼先生と清水氏はドイツでのミーティングのため、一足早く12日の13:40の便で出発することとなっていた。
Fig. 19 (長身を活かして手前の塀をよけつつ、それらしく撮影した)カルタゴの遺跡(11:01)。
「来た、見た、”帰った”」という日程はあまりにも気の毒だということで、八幡さんが1時間限定のエクスカーションを企画して下さり、空港にほど近い、カルタゴ遺跡を塀の外から文字通り駆け足で見学することとなった。
Fig. 20 飛行機の時間を気にしつつ、駆け足で訪れたシディ・ブ・サイドの街並み(11:40頃)
また、白い壁と青い窓飾りで観光スポットになっている、シディ・ブ・サイドの街並みも駆け足ながら、見学できることができた。(八幡さん、有難うございます!)
9.帰国の途へ…!?
シディ・ブ・サイドが空港からほど近いこともあり、余裕をもって、鯉沼先生らの便に間に合うよう、空港に到着することができた。チェックインカウンターに並ぶと、大きな喧噪が空港全体を覆っている。
…この日、数多くのフライトの経由地であるヨーロッパの空港がほぼ全域で大雪のため閉鎖され、一部の便を除いて欠航になったのである。結局、お二人は翌日便に振り替えざるを得なくなった。一同疲れた表情でホテルに戻り、日本での再会を約束しての解散となったのである。
3月12日(火)夕刻。いくら疲れたと言っても、一度も街歩きをしないのでは、チュニスの雰囲気は掴めない。18時少し前に、ホテルにほど近い、カルフールまで歩いてみることにした。
街並みは、ヨーロッパのそれに近いが、とにかく、車の運転が危ない。確実に歩行者よりも車優先の社会である。道路の両側に路上駐車があふれ、まさに、「命懸け」で道路を横断せざるを得ない場所もあった。交通事情については、本当に注意が必要であると実感した次第である。
Fig. 21 夕刻のチュニスの街並みとカルフール魚売り場
3月13日(水)、朝6:00.私のフライトは9:05発であるため、暗闇のなかチェックアウトして空港へと向かう。パリ乗り継ぎが2時間を切るやや厳しい接続だったが、チュニス発の便は約1時間遅れ、久々にシャルルドゴール空港内を(一応)大急ぎで走ることとなった。一応、と書いたのは、(予想はしていたものの)パリ‐成田便も機材延着の都合で結局は4時間遅れになったためである。
Fig. 22 チュニス空港内の見事なモザイク画
Fig. 23 昨日の大雪がまだ残るCDG空港
最後は季節外れの大雪というトラブルに見舞われたが、それも含めて、今回のチュニジア渡航は密度の高い思い出深いものとなった。おそらく、再びチュニスを訪れることもあるだろう。その時には、また新しい発見が私を迎えてくれるはずである。
Copyright (c) Yoshikazu Suzuki, 2013