現在調査のため12月にリビアに滞在した北アフリカ研究センター(ARENA)所属の上山一研究員からの現地レポート(最終回)を掲載します。
12月22日夜、セブハからトリポリに戻りました。本レポートでは、トリポリ市内の様子と昨今のリビアをめぐる状況について報告します。
(1) 12月24日、リビアは61回目の独立記念日を迎えた。現地テレビ局の中継は、殉教者広場で行われていた独立記念式典の様子を放送していた。記念式典が行われていた殉教者広場を訪れてみた。殉教者広場周辺は、独立記念を祝う人びとで賑わっていた。広場には治安部隊に加え、重装備の軍人が警備しており、周辺ビルの屋上には銃を持った軍人が多く配置されていた。この日、殉教者広場で行われていた記念式典には、ゼイダーン首相、マガリエフ国民会議議長、陸軍・海軍・空軍のトップが出席していた。広場周辺では、軍事パレードが行われ、内戦中に利用された対戦車砲や機関銃を積んだピックアップ・トラックが走り、軍用機・戦闘機が上空を何度となく旋回していた。カザフィー政権からの解放が実現し、リビア国民は改めて自由な社会の到来を喜でいる、といった印象を持った。その一方で、国軍が前面に出た式典であったとの印象も受けた。リビア政府は、民兵組織の国軍への統合を進めているが、民兵組織同士の対立や軍内部の権力闘争もあり、政府は各地の民兵組織の処遇に苦慮している、という話を耳にする。(写真1、写真2、写真3、写真4、写真5)
写真1:独立記念日の軍事パレード(殉教者広場周辺)
(2012年12月24日:本人撮影)
写真2:独立記念日の軍事パレード(殉教者広場)
(2012年12月24日:本人撮影)
写真3:独立記念日の様子(殉教者広場)
(2012年12月24日:本人撮影)
写真4:独立記念日の軍事パレード(殉教者広場)
(2012年12月24日:本人撮影)
写真5:独立記念日の様子(殉教者広場)
(2012年12月24日:本人撮影)
(2) リビアの主要産業は石油産業であり、石油部門の対実質GDP構成比は政変前の2007年時点で53.5%にも上る。湾岸・アラブ産油国と比べてみても、石油部門への依存度は顕著であり、この傾向は年々強まっている。リビアの人口は642万人(2009年のIMF推定値)であり、1人当たりGDPは12,300米ドル(2010年のIMF推定値)、2005年から2010年までの年平均実質GDP成長率は約5%を記録している 。内戦中、油田への攻撃や石油関連施設の破壊によって石油生産・積み出しがストップし、石油産業は打撃を被った。しかし、内戦終了後、急速にプラントのリハビリテーション・再稼働が進んだことで、石油生産は政変前の水準に戻りつつある。(写真6)
写真6:近年、自動車数の増加により、交通渋滞は増加傾向にある(トリポリ市内)
(2012年12月:本人撮影)
あるリビア人と話したとき、公共インフラのことが話題になった。カザフィー政権時代、政府は公共インフラの整備に多くの資金を費やしたとアナウンスしていたが、現実には、インフラの整備も不十分であり、石油からの富が社会の発展のために有効に利用されたといった実感を持てなかった、と言っていた。石油収入をどのように国家のために利用し、どうのように国民に配分し、信頼される政府をどう作り上げて行くかは、新政権にとっての重たい課題となりそうだ。
リビアには、石油産業以外にも有望な産業がある。その一つが観光業であり、国内では貴重な自然遺産・歴史遺産を見ることができ、五カ所の世界遺産がある。こうした観光資源の活用は、リビア経済の発展や産業の多角化にとっても重要と考えられる。(観光資源:写真7、写真8、写真9、写真10)
写真7:世界遺産レプティス・マグナのローマ遺跡(ホムス)
(2005年5月:本人撮影)
写真8:世界遺産サブラータのフェニキア都市遺跡(ザーウィヤ)
(2006年4月:本人撮影)
写真9:レプティス・マグナにある円形闘技場
(2009年10月:本人撮影)
写真10:カスル・ハッジ(食料貯蔵のための円形倉庫)
(2009年10月:本人撮影)
日本との関わりでいうと、トヨタ社が、2010年に、住友商事の出資により、リビアに代理店を設立した。現地紙の報道によると、トヨタ社は、2012年11月末から、トリポリタニア東部ミスラータのフリーゾーンにて自動車技術者を目指す若きリビア人を対象に訓練プログラムを実施しているという。こうした訓練プログラムは、ミスラータの他に、トリポリやベンガジでも行われる予定のようだ。日本とリビア、産業界における両国の接点は少ないものの、こうした草の根の人材交流を通じたネットワークの構築によって両国における経済連携の深化が期待される。
(3) 今、リビア政府に付きつけられている最重要課題のひとつとして、国内の治安回復が挙げられる。個人的な印象では、首都トリポリやリビア北西部のザーウィヤ周辺については、治安状況は比較的良好に思われる。ただし、リビア全体を見ると、地中海沿岸地域ではミスラータ以東、砂漠地域ではチャド・ニジェール・アルジェリア・エジプト・スーダン国境地帯、局地的には西部バニ・ワリードや東部ベンガジといった地域では、治安情勢は安定しておらず、部族間の衝突、旧政権関係者による攻撃または旧政権関係者への報復攻撃といった事件が起きている。とりわけ、ベンガジでは治安機関への襲撃が相次いでいる。
トリポリ市内を歩いていたとき、ある看板を目にした。この看板には、英語で「We want to know the truth」と書かれており、軍人らしき数人の人物の写真が載っていた。看板の前面に出ていた人物は旧カザフィー政権で公安書記(内務大臣)を務め、内乱が起きた直後にカザフィー政権を離反し、反体制派に合流したアブドゥル・ファターハ・ユーニス少将であった。彼は、カザフィー中尉と同志たち自由将校団が起こした1969年9月のアル=ファーティハ革命に参加し、カザフィー氏の側近として長く政権中枢部で活躍してきた。ユーニス少将は、カザフィー政権を離反したのち、反体制派軍事委員会の最高司令官に就いた。しかし、2011年7月28日に何者かに殺害され、従者と共にベンガジの郊外で発見された。事件直後、旧政権関係者や旧国民評議会関係者による暗殺といった見方が広がっていた。その後、犯行グループが特定されないままになっていた。2012年12月に入り、事態は急展開し、ベンガジの軍検察は旧国民評議会のアブドゥル・ジャリル元議長が一連の事件に関わっていたとして、軍法裁判所に訴追することを要求した。このような背景には、リビア東部でユーニス少将が属したアバイダートと呼ばれる有力部族が捜査再開・犯人特定を求め、政府や軍への圧力を強めたことが挙げられる。ベンガジでのアメリカ総領事館襲撃事件は例外として、国内では、外国人への攻撃・誘拐といった事件は珍しく、むしろ部族間の衝突に加えて、治安機関への攻撃や治安機関幹部を狙った暗殺事件が頻発している。国民和解に至るまでには一定の時間を要すると思われる。(写真11)
写真11:恩讐を捨て、国民和解は進むのか?(トリポリ市内)
(2012年12月:本人撮影)
《終り》